フライパン買った!

■「ジャパネットたかた」は専業主婦向けの番組だと思っていたのに、電動かみそりが売っていた。デジタルビデオも売っていたが、これもママよりはパパ向けの商品だと思う。最近はリストラパパも増えているから?


■サイバーエイジェントの社長とその妻・奥菜恵の記事を読む。サイバーエイジェントの社長は大金持ちだから、家には家政婦でも置いて、妻には何もさせないに違いない。 「私の夫がサイバーエイジェントの社長だったらよかったのに」と思ったが、よく考えたら、「妻が家にいるだけで満足」という事態は、妻が奥菜恵だから成立するわけで、サイバーエイジェントの社長の妻がただの痴女だったら、社長は家政婦なんか雇ってくれないに違いない。夫を取り替える前に、自分が奥菜恵になることを考えるべきだった。


■今日はトルコ風ラムステーキに挑戦しました。これができあがり写真です。



すごい!おいしそうだ!初めて見た目が素敵な感じになりました。味もサイコー!!!一応、肉が冷めないようにとの配慮から、ラムは、野菜の下に入っています。


ラム肉は、塩・こしょうして、たっぷりのオリーブオイル(1/2カップ)でフライパンで焼き、肉を取り出したあとのフライパンに野菜(赤パプリカ(1個)、たまねぎ(1/2個)、ピーマン(2個)、トマト(1個)、キュウリ(1本)を7ミリ角にざく切りしたもの)を入れて、塩・こしょうして炒め、最後にパセリをふりかてまぜまぜし、火を消した後黒オリーブを10個入れて完成です。


スーパーでもらった「ギリシャ風ラムステーキ」のレシピを、トルコ料理を参考にしてアレンジしました。


残念なのは、肉のあとに野菜を炒めるから、肉が少しさめてしまうところです。トルコ料理屋では、ラムのざく切りと野菜が混ざった状態で鉄板にのって出てくるから、しばらく熱々でした。鉄板は無理だけど、私も今度から、野菜と肉を同時に調理しよう。


オリーブオイルの量がかなり多いのですが、余ったオリーブオイルにフランスパンをつけて食べるとおいしいです。


ただ、この料理には大きな欠点がありまして……材料が高い!肉は仕方ないとしても、パプリカは1個200円するし、オリーブの瓶詰めだって結構するし、オリーブオイルも100円分くらい使ったし、たまねぎ・トマトも1個や2個だけ買うと高い。普通に外食した値段くらいになってしまった。この値段なら、「サイゼリヤ」で、おいしいラムステーキが食べられるかも。


ところで、「ギリシャ風ラムステーキ」のレシピの材料のところに「ガラムマサラ」と書いてあったのに、いざ作ってみると、手順にはどこにもガラムマサラを使う場所がない。おかげで、買って封まで開けてしまったガラムマサラ、手番がありませんでした。よくよく考えるに、ガラムマサラを入れる必要はないと思う。高かったのになあ……カレー作るか。


QUEEN'S ISETANオリジナルの「クイーンズ パティスリー」クッキーを買ってみました。前回のクッキーは、QUEEN'S ISETANのベーカリーで売っているクッキーで、それほど高くないですが、今日のはスーパーの方においてあるクッキーで、高めです。味の方は……まさに手作りクッキー!前回のはさっぱりしていておいしかったけど、今回のは濃厚でおいしかったです。QUEEN'S ISETAN、すばらしい。


■日本の会社に残業が多いのは、無駄に働こうとする人間が多いからだと思う。もちろん、絶対的仕事量が多くて残業ばかりになってしまう方もいるが、昔の仕事先にいた局女性は、一人暮らしの家に帰るのがいやだというのと、他に居場所がないのとで会社に入り浸っていた。給料はもらえなくてもよいといって、雑務をしているのだが、雑務も限りがあるので、勝手に書類のフォーマットを新しくして、記入の仕方に細かい決まりを設け、取り締まっていた。決まりが増えるとチェックの仕事も増えて、ついでに気に入らない新人に文句も言える。新人には初めに決まりを教えず、チェックの時に「こんなのこうやって書くのが当然でしょ」といってつっかえすのがポイントです。


局さんは「忙しい忙しい!早く帰りたいのに帰してもらえない。昨日は何時まで残った」と非常に嬉しそう。そのくせ昼間に私が仕事をしていても、話しかけてきてなかなかしゃべるのをやめない。「この仕事、急いでるので」と言ってもやめない。


要するに自分が必要とされていると感じるのが快感のようなのだが、それに振り回されて残る羽目になるこっちはたまったものじゃない。


前の会社では、昼間真剣な顔をして「yahoo」画面を見ており、終業の鐘が鳴ると仕事を始める人というのもいた。 ここまでひどくなくても、「ブレインストーミング」と称して、朝10時から夜10時まで会議をしている会社など人にきくといろいろある。


日本人は働き過ぎだと言うけれど、本当に働いている人はそこまで多くないのではなかろうか、と無職の人間が思ってみたりした。